さて、どんなふうに人生を終えようか?

どんなふうに人生を終えるのが理想だろう?

そんなふうに考えることがあります。

僕の親父は、

「最期はロケットに乗って、こっぱみじんに消し飛びたい」

以前このように言ってました。

そうしたら痛みもなく死ねるだろうということです。

彼は極度の高所恐怖症なので、そんなことをしたら死ぬほど恐がって死ぬと思いますが。

まぁ、そういうことじゃなくて、

どんなふうに人生を終えたら幸せなのか考えています。

死ぬ日がわかっているひとは少ないですよね。

でも必ず人間には最期がある。

そう思ったとき、どんなふうに人生を終えたらいいのかなと考えるのです。

人はひとりでは歩めない。

先に歩んでくれたひとがいる。

一緒に歩んでくれるひとがいる。

高村光太郎の言葉を借りると、

僕の前には道がない
僕のうしろに道が出来る

そういうことです。

僕がつくった道を歩むひとがいる。

それがどのような形であっても、引き継いでいかなければならないものがある。

明日のジョーのように、さまざまな関係を断ち切って真っ白な灰になるのは難しいように思います。

ひとはしがらみの中で生きているもの。

それが心地よいところもある。

だれかのために、人生の終えかたを考えなければならない。

そういうことが、しがらみの中では生まれるのです。

さて、どんなふうに人生を終えようか?

この1年間でいろいろなことに挑戦しました。

人生でいちばん人生を考えました。

かわりゆく環境のなかで、かわらない物があることも学びました。

でもわからないんです。

どんなふうに人生を終えたらいいのか。

未来は未知数ですよね。

だから今やっていることが正しいかなんてわからない。

いま考えていることが、正しいかなんてわからない。

ずっと議論ですよ。

議論する相手がいなくなっても、ずっと議論し続けるしかない。

なにかを残すのではなく、なにも残さないことが愛かもしれない。

むずかしいです。

ひとつだけ言えることは、僕が死んでも僕に関係するひとの歩みはとまらないということ。

いま僕が死んでも、

今僕が抱えている問題はいつか解決する。

そう考えると楽ですよね。

理想の死にかたなんてないと思えます。

でも本当にそうなのかな?

わからない。

けど、わかるようになりたいから考えてます。

さて、どんなふうに人生を終えたらしあわせなのかな?

思考
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