金子みすゞの『みんな』は矛盾をはらんでいるのか?

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『みんなちがって、みんないい』

そんなことが本当に言えるのですか?世の中には悪人もいます。それでもいいと言えますか?あの気持ち悪い人も、意地悪してくる人も、みんな本当にいいのですか?

そういう批判があるようですね。

。。

このような意見があると知るまで、僕はこの詩の『みんな』というワードは自分を中心とした小さな人間関係の括りでしか考えていませんでした。

極悪人でもいいのか?という考えに及ばなかったんです。

これについては久人加藤さんのブログ、

途方に暮れる、この詩の子供への伝え方https://spotlight0.exblog.jp/25672545/

こちらにも書かれていますね。

排他的な人間関係内に限った比較で、『みんな』という基準を用いて良いのか?という『みんな』が持つ意味との矛盾点について述べられています。

上辺だけの詩というドキっとする表現も使われてますが(すごく悩まれているのでしょう)、僕は違う意味でこの詩の『みんな』を捉えています。

僕にとって、金子みすゞの詩の『みんな』とは全てのことなんです。

人間に限ったものではありません。

あの詩では“小鳥や鈴”“私”を比較していますよね。人と人を比較していません。

金子みすゞの詩では、“私”は全ての中のひとつであり、人類全てなんです。

あの詩は人間それぞれの違いを称え合うのではなく、地球もしくはこの宇宙に存在する全てに対して違ってもいいと伝えています。

悪人でも善人でも、小鳥や鈴にはない“人間”という良さを持っている。だからいいんだよって言っているのではないでしょうか?

みんなを人間というカテゴリに限定して考えると、みんないい訳ないじゃん!ってなりそうですが、そうは言っても個人と個人を比べたがるのが人間でもあります。

なかなか、腑に落ちそうで腑に落ちない所がありますね。

言葉にするのは難しい。