『ゆるすということ』の矛盾?『ゆるす』と『過ちを認める』は違う。

スポンサーリンク

あなたは今までの人生の中で、ゆるせない人がいますか?

もし、すぐに浮かばないのなら、

テレビのニュースに出てくる犯罪者を思い浮かべてください。

ゆるせない人が浮かびましたか?

また、自分自身の身体について、ゆるせないと思った部分はありませんか?

その部分を持つ自分自身や、この身体を与えた外的要因について、ゆるせないと思ったことはありませんか?

『ゆるすということ』では、そのような感情を解き放つことによって、自分自身を傷つける『ゆるせない気持ち』から身を守る術を教えてくれます。

 

この記事の内容
✅ゆるすとは自分自身の負の感情を解き放つこと
✅『ゆるすということ』の矛盾
✅『ゆるす』というのはプロセスである

 

 

自分自身の負の感情を解き放とう

あなたにゆるせない人がいるならば、
その人をゆるさないことが自分自身を傷つけることになります。

あなたにゆるせない特徴があるならば、
その特徴をゆるせないことがストレスになり続けます。

相手を、またその特徴を『ゆるす』ことによって、いまこの瞬間を生きることが出来るようになると筆者は言います。

では、僕が負の感情を解き放った経験を話します。

僕は身長が160cmと低いのですが、
10代の終わりからはコンプレックスと思っていませんでした。

 

いつまでも『タラ』『レバ』にとらわれず、
自分自身の特徴を受け入れたんです。

 

さらに僕は、
『身長が低いからこそ努力したことが多かった』
と思うようになりました。

この本には出会っていませんでしたが、ゆるすというのはそういうことなんだろうと思っています。

 

ゆるすとは否定的な思いへのこだわりを放つプロセス

先ほど僕自身の例を挙げたように、『ゆるす』というのは負の感情を解き放つ方法です。

その方法は、たった一度使っただけでは効き目が薄いかもしれません。

穏やかな気持ちになれないこともあるでしょう。

何度も何度も否定的な思いは湧き続けます。

そのたびに『ゆるす』という方法をとっていかなければならないのです。

ゆるしは一度だけでなく、ずっと続くものでなければなりません。

何度も何度もゆるしていくことが大事だということです。

 

『ゆるす』とは『過ちを認める』ことではない

この本を読み進めてモヤモヤしたところがありました。

相手を許すことは、相手の過ちを認めることなのではないか?

というものです。

しかし筆者はそれを否定しています。

相手の過ちを認めずに許すということは、本当に可能なんでしょうか?

 

『ゆるすということ』の矛盾

『ゆるす』の対象が他者だけであるとき、この本には矛盾が発生します。

『相手をゆるす』という言葉には『相手の過ちを認める』というニュアンスが含まれるからです。

しかし、筆者は非を認めることではないと言う。

どういうことか?

つまり、ここで言う『ゆるす』というのは、自分自身の感情に向けたものと考えるべきではないでしょうか。

つまり、

✅自分が持つ負の感情を認識する。

✅その感情を歓迎し、そして許す。

✅そして最後に、負の感情を捨てる。

ここまでが『ゆるす』のプロセスと僕は読み取りました。

 

ゆるすというのはプロセスである

大切なのは、ゆるすというのはプロセスだということです。

ゆるすプロセスには負の感情を集めて捨てるという、過去との決別が含まれます。

そして今を生きることが大切だと言っています。

過去と今は関係のないものと捉えるのです。

 

まとめ

私たちのエゴは「過去が辛かったから未来も辛いはずだ」とささやきます。

また、物を持つほど豊かになれると思い込ませています。

そういったエゴを捨て去るゴミ箱があると仮定して、愛情の記憶だけが残るとイメージしてみましょう。

そういう穏やかな状態が『ゆるす』準備段階ということです。

 

他者の過ちを認めないまま、負の感情に許しを与える(=捨て去る)というのは、とても難しいことですね。

ゆるすというのは一度ではなく、断続的に、継続的に行っていかなければなりません。

少しづつでも自分の感情を解き放っていければ、もっと素敵な生き方になるかもしれませんね。